知の地図をつくろう

私らしさって、なんだろう?〜SPACの現場に学ぶ、常識の外し方

人間を映す鏡のような舞台は、観る人ごとに受け取る意味も違う。 舞台の見方で物事の見方がわかってしまう? 私の枠って何だろう。 アートマネジメントを手がける井原麗奈先生(静岡大学地域創造学環准教授)と考える。

[文:森下華菜(静岡大学教育学部3年)/写真:大村ゆり子(常葉大学外国語学部3年)]

井原 麗奈先生

静岡大学 地域創造学環 アート&マネジメントコース 准教授。専門は公共文化施設の公共性について。お城の石垣を見るのが好き。時折石工が小さく入れていた自分のマークに、裏方なりの自分らしさの表現を見ると語ってくれた。

自己分析的舞台鑑賞のすゝめ

――舞台を通して自分の考えや常識の枠を知ることはできるでしょうか。

一つの演目を一度しか観ない人が多いけれど、同じ演目を何回も観ると、毎回視点が変わるんだよね。例えば演劇は一度しか観ないとストーリーを追うのに一生懸命で終わってしまうと思う。私の場合は幼稚園の頃から毎月毎公演宝塚歌劇を観ていたので、中学・高校生になると飽きてしまった。特に宝塚には型が有るから。ストーリーが頭に入ってしまうと、衣装等の細部を観ていました。「今回の衣装は前の公演と同じだな」とか「この人はスパンコールが一重だけどあの人は二重だな」とか。今思えば、ファッションに興味があったのかも。

――私たちの周りには文芸・美術・音楽な ど身近なものから遠く感じるものまで、多数の芸術があります。その中で舞台の特徴は何でしょうか。

まず、生の表現であることです。例え同じ演目でも、その日の役者の体調や天気に左右されることもある。生身の人間による表現であるところが、他の芸術と明らかに違うよね。
更に、その日のその時間に行かなければ観られない。映画は映画館での上映を見逃してDVDで観たとしても、迫力が違うだけで作品の質が変化することはない。でも舞台は日によって出来不出来の差があるしDVD化されてしまうと、その空気・空間は感じられません。

最後に、舞台があって客席があるということ。その日その時間にそこに集まった人たちがみんな顔見知りってことはないでしょう。 不特定多数の人と時間と空間を共有するというのは、他の芸術と違うところだよね。舞台の質がよかったら、初めて会った他人と一体感や高揚感を得ることもできる。

「好き」の選択で作れば、枠は愛しい

――先生が自身の考えや常識の枠を感じた経験はありますか?

大学に勤める前からずっと「アンサンブル・ ラロ」というピアノ四重奏のマネジメントをやっているの。全員外国人で、彼らと仕事をする中で自分らしさや枠を意識するようになった気がします。彼らは世界を股にかけて 活躍しているからスケールが大きい! 自分の常識は一切通じなかった。

例えば、開演5分前になっても楽屋に誰もいなかったり。日本ではお客さんは待たされると怒るから、ドキドキしました。状況に応じて合わせてもらうべきときは合わせてもらい、それ以外は限りなく彼らに合わせました。コンサートに関わるスタッフにも彼らの状況と、どうしてほしいのかを通訳みたいに交渉して。そのとき自分はとことん裏方なんだと感じた。思えば小さい頃から友達の喧嘩の仲裁をよくしていた。こういう経験をしていく中で、自分の得意なことは何か、振り返ることができたと思います。

――先生は小さい頃からあった自分らしさに、ラロの皆さんと出会って、後から気付いたんですね。そういった自分らしさの枠ってどうやってできるのでしょうか。

枠とは、自分が無意識に選んだ好きなことなんじゃないのかな。マネジメントの仕事では自分が良いと思うものだけを選んでいます。結果的にそれが自分の色として表れる。好きなものを選んでいった結果、それがその人の輪郭になる。環境によって、外側からはめられている人もいるけれど。そのような人は、色々なことに触れながら自分で枠と自分の距離を認識して、苦しいなら外せばいいし、はまっている方がいいなら利用すればいいと思います。好きなことのように、無意識に獲得した枠は極めればいいと思う。枠を超えられないと思っているときが一番辛いのかもしれないね。

――考え方や自分らしさを変えたいと思ってしまいます。これらは変えられるのでしょうか。舞台を観ることによる影響はありますか。

変えられると思うよ。色々な人と付き合う中で、相手に「こうしてほしい」っていう要求が生まれるでしょ。でも相手を変えるのはとても難しい。自分が変わる方が断然楽なの。私もラロのメンバーと関わる中で、5分前に誰も楽屋にいなくても平気な自分になった。こちらが変わると彼らも「あれ?」って思うみたいで、歩み寄ってくれて。最近は10分前 には楽屋に集まれるようになった。つき合う中で、お互いちょうどいいところを見つけることで枠が変わってきました。

舞台鑑賞では枠というより、視点が変わることがある。関西にある「劇団態変」という障がい者だけで構成された劇団を観たときは ものすごい衝撃だった。身近に障がいのある人がいなかったから、ジロジロ見てはいけないと思っていたの。でも彼らは「自分たちの身体を観ろ!」って舞台に上がっているのね。彼らは彼らの身体を持って彼らの人生を生きている。視点がドラスティックに変わった瞬間でした。

とにかく浴びるように観て!観れば自分の好きと嫌いがわかる

――私たちは芸術に触れる際、どこかで「劇的な」変化を期待してしまう気がします。「楽しかった」や「わからなかった」で終わらず、舞台を深く味わうコツはなんですか。

 「楽しかった」で終わってもいいと思うんだよね。でも芸術的な表現って、それだけで終わらないの。その時は「わからなかった」で終わっても、「なんだろう」って心に留めておいて、それを10年後に思い出して「わかった!」となってもいいと思う。世の中には白と黒で説明できるものだけではなく、よくわからないグレーなこともある。その瞬間に白黒つけようとしないで、しばらくグレーなまま自分の中に持ってみる。気持ちの悪いことだけれど、そうしなきゃいけない状況って人生の中できっとたくさんある。いつかわかるかもしれない、と信じて待てるかどうかかな。中道を歩む訓練です。

――芸術を観る若者は減っている思いますが、今舞台を観ておくべき理由は何ですか。

芸術鑑賞の習慣がない人が多いのは実感しています。でも、芸術鑑賞は単純なことに感動できる若いときにいっぱいしなきゃダメ!
心動かされる瞬間を若いうちに沢山経験しておかないと、感受性がどんどん凝り固まってきてしまう。だから今はとりあえずジャンルを特定せずに数を沢山、浴びるように観て欲しい。そのうち自分の好き嫌いもわかるんじゃないかな。観ないで嫌いっていうより、観てからこれ無理! って思う方がいい。

審美眼は日常で、自分の信じるものを選ぶときにも生かせる。そうするとぶれなくなっていくじゃない。自分の信じるもの、いいと思うものは何かをはっきり見定めていく訓練でもあるね、芸術鑑賞って[了]

井原先生の推薦図書

『細雪』
中公公論社 谷崎潤一郎著

関西の旧家・蒔岡家を舞台に、4姉妹の日常を綴った長編小説。作者である谷崎潤一郎が自身の経験を元に、戦時中に失われゆく日本の美しいものを書き留めた作品でもある。彼の審美眼に留まった美しいものだけが、丁寧に書き込まれています。

SPACからのお知らせ

ふじのくに⇄せかい演劇祭

2017年4月28日(金)〜5月7日(日)

http://festival-shizuoka.jp/

静岡芸術劇場 舞台芸術公園 駿府城公園ほか


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