静岡県立美術館「1968年 激動の時代の芸術」~「1968年」という時代と批評精神~(前編)
導入 現在、静岡県立美術館では展覧会「1968年 激動の時代の芸術」が開催されています。本展では「1968年」を切り口にして、現代美術をはじめ、写真・演劇・舞踏・映画・建築・デザイン・漫画など多岐にわたる展示と、過激でエキセントリックな作品が話題を集めています。本展のテーマである「1968年」とは一体どういう時代だったのか。なぜ今「1968年」なのか。静岡時代・澤口翔斗(静岡大学人文社会科学部)が、この展覧会の仕掛け人の一人でもある、静岡県立美術館上席学芸員、川谷承子さんに伺ったお話を前編・後編に分けてお届けします。
澤口 まずはじめに、今回の「1968年 激動の時代の芸術」とは、どのような展覧会なのでしょうか?
川谷 1968年という年は、この企画が始まった2018年から数えて、ちょうど50年前になります。この時代は、パリの五月革命をはじめ、世界中で社会運動が活発に起こりました。日本でも全共闘運動などの学生運動やベトナム反戦運動、成田空港の建設反対運動などの社会運動が起こっています。多くの市民たちが、それまでのシステムや既成の価値観に対して異議申し立てをしたんです。そういった時代の雰囲気は、当時生きていた芸術家たちとも無縁ではありませんでした。彼らは社会に対する反抗精神を芸術作品にして、様々なメディアで力強く先鋭的な表現を行いました。1968年から半世紀たった今、当時の芸術作品を再検証しつつ、それらが後世の人に与えた影響についても考えるきっかけになるような展覧会です。
澤口 確かに展示されている作品は、当時の空気を想像させるような過激でエキセントリックなものが多かったように思います。芸術家は作品の中で、生きているその時代や社会を、切り取ったり表現したり批評するという使命をもっているのでしょうか?
川谷 そういう使命をもっている人もいれば、もっていない人もいます。ただ、表現者が無自覚であっても、内面から自然に出てくる欲求や本能によって、作品が時事性を帯びたり、時代精神を色濃く反映したりということはあると思います。まずは作家それぞれにそれぞれの表現欲求がある。そしてそれらが意識的であれ無意識的であれ、時代の波とシンクロした時に、さらに力強い表現となって、後から振り返るといっそう魅力的に映ってくる。今、芸術家が作っているものも50年後に見たらすごく「今」を反映しているのかもしれません。
澤口 今回の展覧会では、雑誌の展示も多くありました。雑誌は芸術作品ではないですが、やはり1968年という時代をよく反映しているのでしょうか?
川谷 はい。この時代の芸術において、雑誌のもつ意味は大きいと思います。今でも雑誌はたくさんありますが、60年代70年代の雑誌では批評が今よりも盛んに行われていました。やっぱり芸術家だけではダメなんです。批評家が作品を言葉にして、語って、批評していくというのが健全なあり方だと思っていて。この時期は美術制作と批評家の言論が一体となって存在していました。特に雑誌を媒体とした批評は大きな役割を果たしていたと思います。また、美術の分野だけではなくて、映画批評や漫画批評、デザイン批評など様々なジャンルで雑誌が刊行され、批評が行われていました。今では純粋な批評というのはなかなか難しいんですよね。
澤口 それはどうしてなんですか?
川谷 80年代になってくると日本が経済的に豊かになってきて、個人が作品を買うという行為も増え、コレクターの人も増加しました。今や芸術作品が何億という値段がついて世界のお金持ちに買われることもあります。また1969年当時は少なかった美術館も次々と誕生しました。このようにして美術作品は「売りもの」として個人が愛でる対象になっていき、コマーシャルだとか商業主義的な部分が、美術の世界に入り込んでくるんです。そうなってくると純粋な批評がだんだんできなくなってくる。例えばテレビだってスポンサーの商品を悪く言えないとか、あるじゃないですか。美術館でやる展覧会にしても、新聞社が主催してお金を出してやっているような展覧会に対して、他の新聞社や出版社がぼろくそに書くとか、そういうことはできないと思います。必ず経済的にバックアップしているメディアや会社がいますから。そういう商業主義的な部分があると、表現行為に対して純粋な形で言論を戦わせることが難しくなるはずです。1968年の頃は、もちろん新聞やテレビはあったけど、商業主義的な部分はまだまだ希薄で、今とは違う形での、純粋な批評ができる土壌があったんだろうなと思っています。
澤口 この時代は、雑誌を媒体にして、批評家による純粋な批評が行われていたんですね。では、美術家同士でもそういった批評の関係はあったのでしょうか?
川谷 はい。この頃はグループ幻触やモノ派をはじめ、美術家たちがグループを作ることも多く、美術家同士がお互いの作品について批評することは、今よりも頻繁にあったと思います。あとは美術家同士だけでなく、ジャンルを越えた交流もありました。例えば、写真家の人が『美術手帖』などを読んで美術の動向を常にチェックしているとか、逆に美術家の人も演劇や映画を観て、それについて雑誌で批評するとか。今よりもっとダイナミックな関係性があったと思います。雑誌は文化を交流させる役割も果たしていたんです。このように、1968年頃の芸術は、一人の天才が一つの芸術作品を作るのではなく、芸術家と批評家、または芸術家同士の相互交流の中で、様々な表現行為が生まれていきました。
澤口 なるほど。ジャンルを越えた交流といえば、僕個人としては寺山修司がすごく好きで。その周辺の文化人たちって、活躍する土俵が違っても、どんどん個人的な友好関係を深めたり、共作をするじゃないですか。例えば、今回の展示に登場した人で言うと、三島由紀夫とか澁澤龍彦とか宇野亜喜良さんとか美輪明宏さんとか。この時代のそういう雰囲気がとても好きなんです。
川谷 そうそう!寺山さんも演劇をやるんだけど、彼のビジョンを視覚化する人が必要になってくる。そこで横尾忠則さんや宇野亜喜良さん、和田誠さんなど、当時はまだみんな若手だったと思いますが、そういう一流の美術家たちに演劇のポスターをデザインさせたり舞台美術を担当させたりしました。今は演劇のポスターと言ったって、後になって美術館に飾れるようなものってなかなか無いような気がします。やっぱりあの時代のものは、ポスター自体が一つの作品として成立していますね。あと、今回の展覧会では澁澤龍彦編集の『血と薔薇』という雑誌も展示しました。それの巻頭グラビアでは篠山紀信さんが撮影した三島由紀夫のヌード写真があったりして。静岡県立美術館で4年程前にやった篠山紀信展にも同じ写真を展示していたので驚きました。
澤口 当時の文化人たちのジャンルを越えた交流関係や共作が伺えますよね。
川谷 はい。今回の展覧会は、美術だけでなくデザイン、写真、演劇、建築、音楽、漫画など多岐にわたる種類の展示品があります。それらは一見バラバラに見えるかもしれませんが、表現者同士に密接な関わりがあったり、なにか似たようなイメージや時代精神を共有していたり、50年経った今振り返ってみると何重にも重なって見えるんです。そのように横断的な視点で楽しむことができるのも、この展覧会の面白さだと思います。
後編は こちら
展覧会情報
開催場所:静岡県立美術館
開催期間:2019年2月10日(日)~3月24日(日)
開館時間:10:00~17:30(展示室の入室は17:00まで)
休館日:毎週月曜日
観覧料 前売券一般:800円/70歳以上:400円/大学生以下:無料
当日券一般:1,000円/70歳以上:500円/大学生以下:無料
http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/