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2020-03-15

「人間とは何か」その答えを探して。常葉大学教育学部生涯学習学科教授・猿田真嗣先生

学生の私たちは、学びを学生生活の中だけに見てしまいがち。でも人生、大人になってからの方が長いのだ。これは大人になった後の学びの準備についてのお話。


猿田先生 そもそも生涯学習とは、「これが生涯学習です」とお見せできるものではありません。「いつでもどこでも誰でも、必要な内容を必要に応じて学習する」という形が実現しているか、そんな視点で社会の実態を調査してみたり、教育制度の歴史や現状を紐解いて、今後どうすれば学びを通してより豊かな社会を作っていけるのか考える学問なんです。

 出身の広島県では平和教育が盛んで、人が(戦争という)人の行為により傷つけ合った歴史を学ぶうちに、「人間とは何か」という疑問が自分の中で大きくなっていきました。そんな疑問に答えてくれるような気がして、「人間学類」というところに進学したのですが、教育学や心理学など、既存の学問分野の名残が濃いことにすぐに気がついて、ややがっかりしたことを覚えています。そんな中で、一番興味が持てたのは生涯学習・社会教育という学問でした。僕が大学に入学した一九八〇年当時、現代的な意味での生涯教育(生涯学習)の歴史は始まったばかりだったのですが、日本には「社会教育」という営みの長い歴史があることを知りました。その社会教育は、戦前、国威発揚などに利用されたこともあって、戦後はその反省から、自分で自分を教え育てる「自己教育」と、人々がお互いに教えあい学びあう「相互教育」という二つの理念で、一人一人が前向きに生きる力を身に着ける活動に変わりました。そのような社会教育の歴史を学ぶうちに、入学前に感じていた「人間とは何か」という問いへの答えがここに詰まっているような気がして、自分の専門に定めました。

——長年の疑問と生涯学習がリンクしていたんですね。では、そんな生涯学習を学んでいくなかで、面白い部分はどこでしょうか

猿田先生 学校教育と比べて、学びにその人の生活や人生が「にじみ出る」ようなところではないでしょうか。研究のなかで、どんな人がどんな環境で学習しているか現場に入って調査させていただくことがあります。学校教育であれば、子どもたちは児童・生徒として、学習指導要領に沿って何歳で何を学ぶか、あらかじめ決められている。基準性が強いため、一律の部分も多く、学習活動の中から一人一人の興味・関心や生活実態などが見えてくるということは少ないでしょう。高校生の皆さんが英語を学ぶとき、正直、将来役に立つのかもしれないという漠然とした思いで学んでいる人は多いかもしれません。

 しかし、生涯学習の場合、特に大人の方であれば「学ばなければならない」「学びたい」という、もう少し切羽詰まった感じがあって、あえて時間を作って、いろいろと工夫しながら学んでいます。だからこそ、学ぶ動機や活用の見通しが具体的であり、学びと生活が直結している部分が見えてくる。会社から命じられたとか、家庭生活を充実させたいとか、純粋に興味があるからという人、教養を高めたいという人も。一人一人の学習者と直に触れ合って、生活の実態や人生観を聞いて、自分自身の学びと比べての反省も含めて、すごく感心させられることが多いんです。色々な刺激をもらえて、それが自分の生き方・考え方を見つめ直すきっかけにもなっていると思います。

——学びへの切実さの質の違いでしょうか……。学校や既成のシステムから少し外れて自由に学問をしようという生涯学習からみて高校と大学の学びの違いは何だと思いますか

猿田先生 もし、高校生の皆さんがテストや受験に追いかけられているような感覚があるならば、それは生涯学習の理念とはかけ離れています。大学の特徴として、自分が学びたい学問をある程度自由に学べるというのはあると思います。大学生になってから、また大人になってからも楽しく学び続けるためには、大人になると伸ばしにくい認知能力や論理的思考を若いうちに養っておかないといけません。学校教育のなかでは国・数・英などの主要教科がその基本なので、先ほどの話と矛盾するようですが、それらの学習も大事にしてほしいと思います。

 一方、高校・大学の時期は生涯学習者(lifelong learner)になる準備期間でもあります。自分の得意なものが見つかるように、いろいろな経験をして学校外の出会いから学ぶことも大事です。大学は基礎や教養と専門的な学問が重なる場なので、生涯学習の考え方を意識しながら楽しく学び、大学四年間で徐々に専門的なものへ受け渡せるといいですよね。

 あと、解決すべき「問い」を自ら作り出すところも、高校までの勉強と違う点だと思います。高校までは問題は誰かに与えられて、問題を解くための知識・方法を身に付けていくことが中心だと思うんですが、大学の学び(学問)って、いかに自分自身が取り組む価値のある「問い」を立てるか、という点が重要だと思います。大学はどんな授業をとるか、ある程度自分で決めることができますので、自ら追究する価値のある「問い」を立てられるかどうかで、四年間の質が決まるのかもしれません。

——問いを立てるのは大学だけじゃなく生涯学習でも大事な部分なんですか

猿田先生 誰もが社会との接点を持つ以上、次のステップへ進むうえで、今自分に何が必要で、何を学ぶべきかということは自分で決めなきゃいけない。こう言うと構えてしまいがちですが、例えば、職場で資格を取らないと昇進できないみたいなことがあります。でも、それはやらされてるのではなくて、それに挑戦すると自分が決めてると思うんですね。「自己主導的」に自分に指示を出して決めている。ただそこまでの「自己主導性」は、高校生以下の皆さんには難しい面が多いと思いますので、大学生になってから、もう一歩踏み込んだ学びを自分のものにしていただきたいと思います。そのためには、繰り返しになりますが、追究する価値のある「問い」を立てることが大切で、それが生涯学習を実践していくカギになると思います。つねに他律的に決められたものに対応するだけでは、学び自体がいつか終わってしまうと思いますね。しかし、いろいろな調査が示すように、「あなたは生涯学習してますか?」と問われた時、大体二人に一人は自分とは関係のないことと思っている。でも実際は、誰でも日々多くの問題を解決しながら生きていて、「学習」のない人生なんてあり得ないはずなんですよ。おそらく学習を「他律的なもの」とか、「自分にはハードルの高いもの」と捉えてしまっているんです。知らない言葉をスマホで調べる、そんなことでも今自分は学習していると前向きに生涯学習を意識できる、そんな人が増えればいいなと思っています。


猿田真嗣先生

常葉大学教育学部生涯学習学科教授。教育学部長・生涯学習学科長。専門は生涯学習・大学開放、教育制度・教育行政など。静岡県をはじめ県内各地の教育行政にも関わり、生涯学習の視点から教育・学習をどんな仕組みで支援・推進していくべきか、研究している。


文・林優介 静岡大学人文社会科学部言語文化学科1年/ 調整・澤口翔斗 静岡大学人文社会科学部社会学科3年

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