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2016-07-25

大学生の自分

思えば、私は、非常にできの悪い大学生でした。「皆が行くものだから」という理由でなんとなく大学に進んだものの、大教室の講義に全く興味を持てず、ひたすら窓際で突っ伏して寝ていた記憶があります。サークル活動も、薄いような濃いような人間関係が面倒になって足が遠のきました。そんな大学生生活の唯一の楽しみは、夏と春の長期休暇を使った貧乏一人旅でした。異国の街を散策し、現地で出会った人と交わす会話は本当に刺激的で、授業がある期間はひたすらバイトで資金を貯め、長期休暇で航空チケットの安い時期を狙っては旅に出る、を繰り返していました。当然ながら成績は低空飛行、必要数ぴったりの取得単位で卒業を迎え、企業に就職しました。
 
一方で、社会は刺激に満ちていました。自分の影響が実感できる仕事は手ごたえがあり、顧客に求められることが嬉しく、忙しくも充実した日々を過ごしていました。ただ、徐々に仕事の幅が広がるにつれて、自分の知識不足を痛感するようになっていきました。顧客の背景が理解できず適切な提案を出せない自分を悔しく感じるようになった頃、尊敬していた先輩の勧めもあり、ビジネススクール(経営学大学院修士課程)に進学しました。

大学院では、学ぶ内容と自分が働いていた時に感じていた問題意識が直結しており、自分が学んでいることが、どこでどのように役に立つのかが手に取るように見え、知的好奇心を刺激され続けました。社会人時代には接点を持ちようもなかった業界出身の同級生と交わす議論も面白く、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があり、皆なにかしら尊敬できるものを持っているものだな、と実感しました。また学生の肩書は通行手形のようなもので、「学生だから」というだけの理由で多くの扉が開かれ、私に多くの機会を与えてくれました。一度社会人経験を経て大学に戻っているからこそ、大学というものがどれほど恵まれた環境であるかがはっきりとわかったのです。
 
そういう中で、ああ、大学生のときの私は、「学び方」をわかっていなかったんだな、と実感しました。大学で学ぶことには、これから社会に出ていくために必要なエッセンスが、ギュッと詰まっている。それなのに私は、表面的なところで諦めて、エッセンスを吸収するところまで至らなかったわけです。あのときもう少し頑張って、学び方を学ぶところから始めていたら、4年間の大学生活はもっと面白いものになったんじゃないのかと今でも思います。もったいない時間の過ごし方をしちゃったなあ、と。あのとき、もし誰かが私に、今学んでいる知識と社会がどうつながっているかを見せてくれていたら、学ぶことで自分の世界が広がる楽しさ、知的好奇心が満たされる快感を、もっとたくさん味わえたんじゃないかな、と。
 
紆余曲折を経て、今は教壇に立つ側にいますが、いつも教室の隅っこに、大学生のころの自分が眠そうな目をして座っているような気がしています。私は、その大学生の自分に、学ぶことで自分の世界が広がる楽しさを伝え、目が輝きだすのを見ることを自分のゴールにして仕事をしています。

国保洋子(こくぼようこ)先生
静岡県立大学経営情報学部助教。経営学博士。組織マネジメントや社会起業を研究中。
学生時代のNPO、NGO活動を経て、ビジネスの世界へ。IT業界での社会人経験後、慶應ビジネススクールでMBA及び博士号を取得し、現在は、慶応義塾大学総合政策学部非常勤講師も務める。毎週月曜日は研究室にてフューチャーセンターを開催、学生と社会人が共に学んでいる。
https://ai.u-shizuoka-ken.ac.jp

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