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2019-02-12

「依存するのはそんなに悪いことですか?・3」樫田那美紀さん(生活の批評誌編集長・静岡時代OG)と考えた

批評誌編集長を務め、最新号では「つながり作りに依存する人」について
愛を持って批評した先輩が大阪にいる。もやもやから抜け出したい編集長は助けを求め一路西へ


写真いちばん奥:お話を訊いた樫田那美紀さん(生活の批評誌編集長・静岡時代OG)/ 中央:聞き手・増山あかね(静岡大学人文社会科学部・静岡時代50号編集長)

――依存について、二人の先生にお話を伺ってきました。実際に増山さんは何かに依存していたりしますか?

増山 SNSに依存しています。私、実はツイッターに裏アカウントがあるんです。フォローもフォロワーもいない非公開のアカウントですけど。そこで自分がした失敗や自分の悪いところをツイートしてしまいます。
樫田さん それはどうしてやってしまうの?
増山 私、言いたいことを言わないというか、言えないタイプなんです。だから一人の人間と長く関係性を保つことがすごく苦手で。一人っ子というのもあって、昔から喧嘩をしてこなかったから、他人に主張したり強い言葉で話したりするのに抵抗があります。怒りという感情はあるんだけど、他人には怒れない。
樫田さん じゃあその怒りはどこに行くの?
増山 自分に行きます。強く言えない自分も否定してしまって結果、悪循環みたいな。だから「思ったことを言えてる他の人いいな」って。
樫田さん そういうことか。言えない自分が嫌だから裏アカウントで自分を否定してしまうんだね。それってSNSに依存しているというより、自己否定をすることで「自分」に依存してるってことなのかも。もし増山さんがこの状態を脱却したいなら「批評」という考え方が役に立つかもしれない。

――樫田さんは「生活の批評誌」という雑誌を制作しているんですよね。

樫田さん はい。私がこの雑誌を作り始めた目的のひとつが「つながり系」を「批評」することでした。ここでいう「つながり系」というのは、独り身の高齢者や貧困層の方など、社会的に孤立しがちな人が集う場やコミュニティを作る活動やNPOなどの団体のことです。私もかつて「つながり」を作る団体に所属していたのですが、意義ある活動だとは思いつつも矛盾を感じてしまった。
増山 矛盾ですか?
樫田さん 「作ろうとして作った」コミュニティの中で、幸福になれるのか? と思いはじめてきて。実際、スタッフである私たちも含めて、そのコミュニティにいた人達がなんとなく満たされていないように見えてしまった。それは、たとえそういうコミュニティの内部で社会的な承認を得たとしても、家族とか恋人とか親友とか、自分が承認されたい相手からの承認、いわば「親密圏」からの承認は得られないからだと思う。
増山 「つながり」を作る団体にはそれがなかった?
樫田さん うん。そして、そういったコミュニティの中で一番欠如しているもの、それが「批評」ではないかって考えた。私は「批評」が人や物に向き合う、最も誠実な方法だと思っていて。だから「批評」できないうちは、目の前の事象や人のことを真に理解できないんじゃないかって考えてる。言いにくいことでもちゃんと言葉で伝えようとする、そういうコミュニケーションを経ることで、はじめて他人とも自分とも誠実に向き合えると思う。「つながり系」はそんな密な関わり合いが希薄で、当たり障りのない関係に陥りがちだと思ったし、それを経ていないと、増山さんみたいな「自分はダメだ」という自己否定に繋がるんじゃないかな。
増山 言いたいことを言えずに、裏アカウントに逃避している私も「つながり系」と重なる部分があるのかもしれない。

――これは安易な比較かもですが、洋画を観ているとよく海外の家族が言いたいことを言い合って喧嘩していますよね。パンとか投げたりして。でも日本ってあんまりそういう関係性がないように思います。

樫田さん 日本の場合は家族に限らず、あらゆるコミュニティでそういう関係性は薄いよね。それには社会的な抑圧が背景にあると思うし、特に女性が受けている抑圧は計り知れない。例えば「メンヘラ女子」って言葉。「メンヘラ男子」とは言わないでしょ? これは「メンヘラになりやすいのは女」というバイアスがかかってる。そうすると女性は「メンヘラ」なんて呼ばれたくないから、そう思われるような発言を避け、言いたいことを言おうとしなくなる。こういう社会的な抑圧って他にもいくらでもあると思う。
増山 確かに。今まで意識したことなかったです。
樫田さん あとは最近、日本の戦争責任に関する本を読んだのだけど、その中で「日本国家は国際社会からの謝罪の要求に応えていない。応答責任を果たしていない」ということが書かれてた。それって戦争責任の話だけじゃなくて日常生活でも同じことが言える。呼びかけられたら応答するという、ごくごくシンプルだけど確かな関係性が日常にもっとあっていいと思う。日本では「批評」が「否定」と同じようにネガティブに捉えられがち。だけど「批評」は誰かを貶めるような活動ではなくて、応答の一つの形なんじゃないかな。もっとみんなが自由に生活の中で「批評」できるようになれば色んなことが変わる気がする。

――一限目の赤尾先生も二限目の花方先生も、依存することは悪いことではないというお話をされていました。この対談を通して増山さん自身は依存についてどう考えていますか?

増山 先生方のいう依存は自分以外の人や物に対する依存でした。でも今回、樫田さんと対談することで、私が依存してるのは自分自身だということに気がついた。リアルの人間に言えないことを、SNSの裏アカウントを通して自己否定に転換することで、私は私に依存してきたんだと思う。そうやって他者と向き合うことから逃げてきたのかもしれない。だから私がしている依存はよくない依存だなって思った。
樫田さん それって苦しいよね?
増山 はい。苦しいし、やっぱり一人で生きたくはない!
樫田さん だったら先生が言っていたように、そういう自分をしっかり認めた上で、自分が真に向き合いたい、なにか没頭できるものにハマることが大事かもね。そしてお互いに「批評」し合えるような他者との誠実な関係を築いていけたら、人生もっと面白いんじゃないかなあ。

§

樫田那美紀さん
静岡大学人文社会科学を経て、大阪大学修士課程修了。大阪でコピーライターとして働きつつ、雑誌『生活の批評誌』の編集長を務める。静岡時代OGで、35号『静岡の土を舐めたい』の編集長。同号は全国の学生誌の祭典で最多の評価を受ける。

澤口翔斗・文 静岡大学人文社会科学部二年/ 田代奈都江・写真 静岡大学人文社会科学部四年

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