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2019-02-12

「依存するのは、そんなに悪いことですか!?・1」赤尾晃一先生(静岡大学情報学部情報社会学科准教授)に訊いてみた

SNS、恋愛、勉強……私たちはいつも何かに依存して生きてきた。でも「依存」って言葉はネガティブイメージが先行しがち。それでも依存してしまう自分とどう向き合う? 時間を忘れ依存することの価値って。

 まず依存とは現実の社会生活がうまくいかなくなっている精神状態のことを指します。例えば、朝起きられなくなって昼夜逆転生活をする、家から出られなくなる、普通の会話が成り立たなくなるなどです。このような、何か他のモノに対してうまく関係を取り結べない状態を社会学的に「依存状態」と言います。だから彼氏やSNSに依存していると言っても、普通に大学に行って、レポートを書いて友人と話している状態であるのならば「依存」とは言っちゃいけないですね。
 僕に関して言えば、 一九八〇年後半にまだ珍しいポータブル・テレビをわざわざベッド用に買い、ゲーム機に繋げて明け方までゲームに勤しんでいた過去があります……。いつでも寝れる状態なのにベッドに持ち込んでいたあの頃の僕はゲーム依存だったかもしれません。ただ日本では「依存」がネガティブに捉えられすぎている感じがするんですよ。だから、そこまで気にする必要はないと思います。

――たしかに……。大学生としてなんとか単位は取れているし人並みに外出も会話もできています! では、依存をポジティブに捉える方法はあるのでしょうか?
 特にSNS依存で言うと、第三者目線を持ち、わきまえて使っていることが重要です。
『ことばの誕生』という本を書いた言語学者ロビン・ダンバーは、サルにとっての「毛繕い」が人間でいうところの言語であると見ました。サルは毛繕いでいろんな情報を伝える。でも人間には体毛が無いから、代わりにTwitterやLINEのコミュニティの中で近しい人たちと毛繕い的なコミュニケーションをします。ただ、この行為は周りの人間からすると全く意味がない行為に見えるんです……。こう指摘したダンバーのように、SNS上で毛繕いしている自分を常に客観視できるといいかもしれません。
 また彼は「親しくなる人間には限りがあって、一五〇人だ」と言っています。これは「ダンバー数」といわれ、たとえフォロワーが五〇〇人いても本当に近しい存在だと思えるのは一五〇人だけだと。ただその友達や家族と毛繕いをする関係は、人間にとってみれば必要不可欠なコミュニケーション行為なわけですよね。だから、SNS上でも対面でも言葉によって仲間関係を維持していくことは正しい依存の形なんですよ。

――私に一五〇人も毛繕い仲間がいる気がしません(笑)。ともかく「人間のコミュニケーション=サルの毛繕い」に驚きました。では、サブカルチャーやオタク文化に詳しい先生から見て「オタク」と「依存」は同義語だと思いますか?

 似ていますよね。ただ、現実生活にそんなに支障が出ていないのならばオタクは「依存」ではなく、「Fever」(熱中、熱狂)に近いんじゃないかな。
 ただ、僕のゼミ生でシューティングゲームに一時期ハマりすぎて学校に来なかった人がいたの。部屋に引きこもってトイレも行かず、できるだけ自分のポジションから動かない。そこまでいくと第三者目線も失って自分を客観視できていないし、生活も破綻してるし、オタクを極めているよね。オタクは、他者にとって全く価値のないものにのめり込んでしまうことが多く、その上自覚がない人が多いから、どのジャンルも本当に危ない。そう考えると、オタクの極みの一種として「依存」があるのかもしれないね。

――私の依存は中途半端でかわいいものだったとつくづく思い知りました(笑)。では大学生の大半が夢中になっていると思われるSNSですが、先生自身はどう関わっていらっしゃいますか?

 珍しいと言われますが、SNSは全種類やっているんです。Facebook・LINE・Twitter・Instagram・Foursquare・Pinterestそれにブログも。僕は電子メディア論という授業でパソコン通信やSNSについて教えているので、自ら一二年間SNSを試し発信し続けたことは、授業という形で還元できているのではないかと思います。
 ただ、僕が思うにTwitterのように強力な拡散力を持っているメディアは徐々に閉鎖的になっていく気がします。例えば今年一月にドイツでは、フェイクニュース拡散防止のための「ネットワーク執行法」が制定されました。それも「SNSなどの交流サイト運営者に対して、違法な内容を二四時間以内に削除しなければ最大六〇億円の罰金を科す」という厳しい内容で。日本にも「ヘイトスピーチ規制法」がドイツに倣ってできたため、今後SNS運営者などプラットフォーマーの責任を問う声は出てきそうです。つまり「言論の自由」で逃げられなくなるんです。近い将来世界中に見られるところではなく、同じ大学限定のグループ内で「おなかすいた。」ってつぶやいているかもしれません(笑)

――お話を伺っていると先生が依存してきたモノにはとても意味や価値があったと感じました。では私たち大学生がSNSやゲームにハマることには価値があるのでしょうか?

 たしかに私の場合、ゲームに依存していなかったら今の職業に就いていなかったかもしれないです。今でこそゲーマーが職業になっていますが、八〇年代はゲームの学術論文を書いたり、学会発表したりというのは非常にニッチマーケティングでしたからね。なので、ゲームに依存していたことは全く後悔していないです。
 ただ第三者視点からでは価値がないと感じたり、判断できなかったりするけれど、人生そんな無駄なことってないですよ。ギャンブル依存やアルコール依存に意味があるのかは微妙ですが、一見勉強の逃避からやっているようなSNSや、漫画、ゲームの依存などは、「なんで今逃避しなければならないのか」がいずれわかるようになったら無駄じゃないって思います。そのうちにだんだんと逃避していた部分や回り道していた部分が意味を持ってくると思いますよ、きっと。

§

赤尾晃一先生
静岡大学情報学部情報社会学科准教授。現代の様々な情報媒体を中心に電子メディアに関する研究を行っている。自身の授業では学生にTwitterでの実況を推奨しアクティブラーニングを実施するなど積極的に授業にSNSを活用している。

今回のお話をもっと深くするおすすめ本『乃木坂46写真集・乃木撮VOL.01』
乃木坂46のメンバーが、一年六カ月にわたって撮影してきたオフショットがそのまま写真集に!気を許したメンバー同士だからこそ撮影できた「素顔の乃木坂46」が満載の一冊。カット数が多く、一枚ずつに撮影者のコメントもあるので見ごたえのある一冊になっている。グループの雰囲気も伝わり、見ていて幸せな気持ちに! VOL.02も期待。

河村清加・文(静岡大学地域創造学環一年)
鈴木聖生・写真(静岡大学人文社会科学部二年)

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