知の地図をつくろう

物語に学ぶ!食と人との意味性

いつの時代も食は人を繋ぐ。食のタイムトラベルの誘い

過去から現在にいたるまで、食にまつわる物語はどのようなものがあるのだろう?
物語から人が食とどう接してきたのか、食にどんな意味を見出したかが覗けるはず。文学の専門家 コルベイユ先生と本誌編集長が文学と食を談義する。食の意味は一つじゃない。


■コルベイユ・スティーブ先生[写真:左]
静岡大学大学教育センター准教授。
フランス文学や比較文学など様々な文学を研究。数多くの映画作品を研究する際、一つのテーマで視点を絞り、既に観たことのある作品も一から分析することを大切にしている。

■小泉 夏葉(こいずみなつは)[写真:右]
静岡大学 理学部3年。本企画編集長。
「どんな食べ物を食べたら人の心をいい方向に動かせるのか」という食の意味性を探るために企画立案。当初は食だけに視点を置いていたが、取材を通じて、空間や人にも着目してテーマを掘り下げていった。

■宗野 汐莉(そうのしおり)
静岡大学人文社会科学部4年。本記事の執筆・撮影者。


食は美しいもの? むしろ、タブーだった

ーー先生のご専門はフランス文学ですが、文学作品には食のシーンはどのように描かれていますか?

16世紀のフランス文学を代表する作家にフランソワ・ラブレーという人がいます。彼の『ガルガンチュワとパンタグリュエル』は、巨人族のガルガンチュワとその息子パンタグリュエルの親子二代にわたる物語です。

当時のフランスは階級社会で、それを反映するように文学においても階級が存在していました。例えば、悲劇は階級の高いジャンルとされ、対極の喜劇は階級の低いジャンルとみなされていました。また、キリスト教の影響も色濃く反映されており、上方に位置するものは美しく、下方に行くほど下品であると考えられていました。特にカトリックの世界では天国と地獄が対極にありますからね。この思想は人間の身体にも反映されており、排泄物などはタブーとされ、生きる上で必要な食事は決して美しいこととは見なされていなかったんです。

従って悲劇では多くの場合が軽食、又は毒入りの食事の場面が描かれます。七つの大罪にもありますが「食べすぎ(暴食)は罪である」など、食べる行為そのものが階級レベルの低いものと認識されていたのです。

しかしラブレーの作品(喜劇)は、巨人がよく食べてよく排泄する描写が多いです。人を巨人に投影することによって人間の日常生活を表し、食事から排泄までを面白おかしく描写することによって新しい世界観を作りあげました。普段なら隠すべきことを文学作品という形で公の場に広めることで、これまでのフランス社会の階級を転覆させることに繋がったのですね。

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ーー食が階級の低いものとされていたとは驚きです。でもそうした階級社会や食を卑下する社会に対して、人々が相反するメッセージを残していたことが分かりますね。

同じくフランスの作家にマーセル・プルーストがいます。彼自身の体験記『失われた時をもとめて〜スワン家の方へ〜』には、私がフランス文学の中で一番好きなシーンがあります。

著者は遠い過去のことを思い出そうとするも気持ちが入らず、うまく記憶をたどれません。しかし、ある時マドレーヌと紅茶を口にすることで不思議と記憶が戻ってきたという場面が描かれています。プルーストはこの体験をきっかけに本の続きが書けるようになり、美しい文学が書けるようになったのです。

実は私はカナダ出身なのですが、距離的な問題でなかなかカナダに帰れません。そんな中、二年前に母が亡くなり、いわゆる「おふくろの味」をもう一生食べることができなくなったんです。でも今まで日本にいて偶然、母の味と同じ味に出会ったことがあります。一瞬にしてカナダで食事していた時のことを思い出しましたね。当時の部屋の雰囲気、故郷の寒さ、一緒にいる人の笑い声もみな、食べた瞬間に全部思い出しました。まるでプルーストのように。この実体験から私にとって「食事といえば記憶である」と考えるようになったのです。

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人が「生死」「人生」を考えるとき、食事のシーンが描かれる

小泉さんは今まで触れた文学作品のなかで印象に残っている作品はありますか?

ーー私は映画『ライフオブパイ』で、主人公の少年パイが海の上で生き残るために食料を調達しようとするシーンが印象的です。彼は道具も限られる中で試行錯誤して魚を釣り上げるのですが、魚は暴れて逃げようとします。必死になって石で殴ると魚は目を開けたまま動かなくなり、パイはその場で号泣していました。なんとも言葉に表せない複雑な気持ちが私の中に生まれたんです……。どうしてでしょうか?

これは20世紀に入って私たちの食と死の関係が劇的に変化したことに関係があります。昔は人々が田舎に住み、農場を営むことが一般的でしたよね?食料のために動物を飼い、時期になるとその命をいただくことがごく当たり前に行われていました。また、人間の平均寿命は今よりも短く、家で最期を迎えることがほとんどだったんです。つまり昔の人々は日常的に死を目撃しており、共存していたと言えます。

今、私たちが死ぬ時を想像すると、多くの場合は老いて、病院で死ぬことを想像しますよね。実際に、現代では病院で最期を迎える割合の方が高いそうです。つまり今の私たちの日常生活から死は切り離され、「見たくないもの」「知りたくないもの」に変わってきているということなんです。死が非日常的となった現代において、できるだけ死から離れるように社会が変化しているんですよね。スーパーに並んでいる肉を手に取るときは、あくまでも食材として認識するのであって殺された動物として結びつけることはしない、それが今の私達なんです。

ですから『ライフオブパイ』のシーンでも、普段は隠された死に直面したことでショックを受けたのだと考えられます。生きることと死ぬこと、そして食べ物は非常に強くつながっています。これを「生の循環」と言います。

プラトンの『晩餐会』やキリスト教の最後の晩餐会など、物語において生きることを考える人物、自分の人生を振り返るときなどは食事の場面がよく出てきます。そして人生の素晴らしさ、暗さを描写する時にも。

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ーー物語のシーンから食が意味するものが分かってきました。では、現代文学からは今の食と私たちの関わりをどう捉えることができるのでしょうか?

今は食の安定供給が実現されるようになった時代です。それ以前の作品では、ごはんを食べられるか否かという極端な設定しかありませんでした。しかし、現代では経済力の無い人は安価なファストフード、経済力のある人はベジタリアンやビーガンなど、登場人物のキャラクター設定をする上で多様な選択ができるようになりました。

また、現代文学を考えるうえでSF文学は無視できません。食と結び付けられるSF文学の中には、人間は将来、現在のような食事をすることができなくなるという結末の作品があります。映画『ソイレント・グリーン』では、人口増加が著しく庶民は政府から支給されるクッキーしか口にすることができません。動物の肉などは一部のお金持ちしか口にすることができず、その量もほんの一口程度です。SF文学ならではの、極端でありえないと思われることが書かれています。

しかし、現実的に人口が増えていく中で人間と食べ物の関係のあり方や認識を変えていかなければならないことも課題です。安定的でかつ贅沢な生活に安住している人々が多い現代において、この作品は深い意味性を持っていると考えられますね。映画などの文学作品を通じることで、今の私たちの行動を振り返り見直すきっかけを得ることができるのかもしれません(了)


 

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