《理系》から見る美術の本質
言語が先か?概念が先か?わたしと「美」を科学する
元々、美術の本質は幾何学に基づく比例理論だった。そもそも人はなぜ美しいと思 い、感動するのか? 人が美しいと思うとき、脳はいったいどうなっているの? 神経行動学を専門とする奥村先生に聞く、美術と科学の関係。
(静岡時代vol.40:静岡美術50年史より)
「美しい花」があるのか、「花の美しさがあるのか」
――人はどういったものを「美しい」と感じるのでしょうか?
(奥村先生)例えば花を見て「美しい」と感じるとき、人によって感じ方は異なります。では、そもそもその「美しさ」はどのようにして存在するのでしょうか。
ここでひとつ質問をしてみましょう。この世界には「美しい花」があるのか? それとも、「花の美しさ」があるのか? 花の美しさだけを花から取り出して、どこかへ持っていくことは出来るでしょうか。
――花がなければ美しさも分からないので、美しさだけを取り出すことはできないと思います。
確かにそれは難しそうですね。だとすれば「花の美しさ」という概念そのものは存在しなくて、「美しい花」と いう物がそこに在るということになります。では、何に美しさを感じるのか。このとき二つくらい考え方があって、 まず一つはあなたが言ったように、物のなかに美しさを見出す考え方です。美しさだけを取り出すことができないので、物質である花そのものが美しければ美しいということになります。
その対極にあるのが、「美しい」という属性を花自身が纏っているという考え方です。美しさが物質と切り離された状態で存在するということになります。こうした理想の美の存在は昔から議論されていて、美術作品や画家の中には、この理想の美というものを絵や彫刻などによって表現しようとした人もいます。ならばその美しさはどこにあるのか? もしかしたら脳の中かもしれませんね。
―― 確かに。では、絵を描くとはどういうことなのでしょうか?
普段、人は何かを描こうとしたとき、 「○○はこういうものだ」という頭の中の概念で描こうとします。唐突ですがちょっと鳥の絵を描いてみて下さい。目や鼻、くちばし、翼など、鳥の特徴をつかんだ絵になりますよね。でも現実にこんな鳥はいませんね。この鳥はあなたの頭の中の思い込みを描いたものなのです。
他方で、視覚で捉えたものを画像として脳に刷り込んでいく記憶法(フォ トグラフィックメモリー)により、ま るで写真のような絵を描く人もいます。水玉の服を着た人を描く場合、彼らはその水玉の数やしわに隠れている 位置さえも精密に再現することができます。逆に普通の人は「この人の服は 水玉模様だ」と言語化してしまうので 水玉の数なんかはいい加減にしか描けなくなってしまう。
ただそれは、画像の記憶をもとに描くことに思考がないというわけではありません。言語を用いて概念化するのとは違うということです。
―― どういうことでしょうか?
例えばサルやゾウが描いた絵を見た ことはあるかな? 結構、いい絵を描 くんだよ。言語能力を持たないサルやゾウが絵を描くということは、彼らは 言語以外の方法で考えているということです。例えば、色で考えて描いているのかもしれないよね。
あるいは、ラスコーの洞窟壁画にも近いことが言えます。ラスコーの洞窟壁画は、およそ一万五千年前の先史時代、おそらく、言語がまだそれほど発 達していない時代に描かれたという説 があります。つまり木々も動物も何も かもが言語化されていない状態で描か れた絵。本来、そういう言語で考えな い思考というものは誰にでもあるんだ けど、言語化した時には忘れてしまう。
言語で世界を認識する人たちには言 葉で抽出できることしか描けないのか もしれない。でも、絵をみるときには 作者の言語化できない考えを感じているはずです。それが美術作品をみた時 の感動や心を動かされるってことに繋 がっているのかもしれません。
―― 美しさには言葉以外の思考も含まれているのですね。とはいえ、どうしても言語で考えがちです……。
例えば、花ってなんで美しいんだろう? 一つには、花の持つ色の鮮やかさですよね。実際に存在する花の種類 は色鮮やかなものが多いけれど、でも生物学の視点で言えば地味な色の方が 花を食べにくる動物に見つかりにくいはずです。進化のなかで変化してきたわけですが、そう考えると花は美しさを誰に見せているのでしょうか。
一つの考えとしては、鮮やかな色に よって虫を惹き付けるという植物の戦 略が考えられます。植物が子孫を残す ためには受粉しなくてはいけません。蝶の目にはヒトと違って紫外線が見えます。紫外線で見る花はオシベやメシベのところがとても目立って見えます。カラフルで美しい花の「美しさ」 は生きるために美しい。美しさは生きるためにあるのかもしれませんね。
脳の中で美のシグナルはドーパミン 「美」は生物の生命力や楽しさに宿る
―― 「美術は生きる力」と言いますが、 花の美しさにおいても通じる側面があ るとは驚きです。
僕が研究している小鳥にジュウシマツという種がいます。この鳥はお父さんの真似をして一生懸命に歌を練習す るんです。その集大成として歌でメスを誘惑する。そのとき、大きく目立つ 声で歌っていたら敵に襲われるリスク が高まりますよね。ですが、あえての ハンディーキャップを持ちながらも美 しい声を響かせることが、「元気に生 きている」というセクシーなシグナル になる。歌を学ぶだけの能力があり、 歌って踊るだけの体力を持つという生 命力や遺伝的な資質の高さを示しています。ジュウシマツは子孫を残すため、 生きるために歌っているんです。
――生きていくうえで 「美しい」という感情は 不可欠ということでしょ うか?
確かにそういう事になりますね。ただ、僕は美 しさは楽しさからも生まれたと思いますね。実は ジュウシマツは元々は羽 毛が少し茶色なんです。 羽毛の濃さは外敵から身を守り、捕食圧を下げるる為のものです。二百年前に描かれた 絵にもそれは見て取れます。
しかしその後、人に飼われ、外敵に襲われるリスクがなくなるなかで今ではすっかり 白くなってきている。そしてもっと派 手な歌を呑気に歌うようになっています。リスクを負ったなかで生命力を示すためにより美しい声を持つようになる という面もあると思いますが、実はそもそも歌ったり学習しているときの鳥 の脳ではドーパミンという物質が出ています。ドーパミンは、例えば、上手くいかなかったことがやっと成功した 時に分泌される。腹側被蓋野という脳の深いところから分泌されて、脳全体 に広がります。すると、その時の思い出が良く残って、学習が成立していく んだよね。
鳥が純粋に楽しく歌っているとき、 つまりドーパミンが分泌されているときに活動する脳部位は、ヒトが鏡を見 て化粧をしている時や何かに見惚れている時に活動する部位と似ています。 つまり、美しく変わっていく自分、またはその変わっていく状態を楽しいと 感じている可能性がありますよね。生物が生きるために存在する「美しさ」もあれば、楽しくて、つい夢中になって続けるからこそ生まれてくる「美しさ」もある。そうした言語化できないものを表現するのが美術だとすれば小鳥の歌や野山に咲く一輪の花の生き様 のなかに「美しさ」の本質が隠されているのではないかと思います。 (取材・文/小泉夏葉)
■奥村 哲(おくむらてつ)先生
静岡理工科大学 総合情報学部 人間情報デザイン学科 准教授。歯学部卒業という意外な経歴をもち、解剖・ 生理・薬学を駆使して、脳神経の可能性を追求している。先日産まれたご長男にメロメロの様子でした。
▶︎もっと深く掘り下げたいひとへ 奥村哲先生からのオススメ本!
ニコラス・ハンフリー著 垂水雄二訳『喪失と獲得』.紀伊國屋書店.2004年
■三好景子(みよしけいこ)
静岡大学教育学部4年(※2015年当時)。大学で美術を専攻する、本企画編集長。
■小泉夏葉(こいずみなつは)
静岡大学理学部3年(※2015年当時)。取材・執筆者。