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使える新古典|第二巻〜中勘助の「樟ヶ谷」“私も歌になりますか”

私は田の畦をゆきつもどりつ和かな風にふかれて歌を思つてゐる。うす著になつたのでさばさばと快い。と、杉菜の群のなかからかはいいはこべの花が「私も歌になりますか」と小さな声でいふ。「うん、なるよ」といつて行きすぎると忘れな草が空色の笑みをうかべて「私も歌にしてよ」とねだる。「よし、よし」とそのまま足を運ぶと今度はうす紫の鷺ごけが「私もよ」とおづおづいふ。
 
 垣のもとになにをねぐらん葱坊主みどりのころも雨にぬれつつ
 
 はたおりの山あひみちのははこ草母をもひつつたびとくれゆく

これは昭和19年に中勘助によって書かれた「樟ヶ谷」という日記の一節。

春、進学や就職など慣れない環境の中で、忙しい日々を送っている学生も多いのではないでしょうか。忙しい時だからこそ、友達のさりげない優しさに気づいたり、道端に咲く小さな花を見つけたり、些細な発見がじんと心に響きますよね。今回は日本文学を専門とし、なかでも地域に残る文学を研究する静岡県立大学国際関係学部<細川ゼミ>から、忙しいあなたに送る、癒しのヒントとなる文学作品と言葉を紹介します。

『銀の匙』で有名な中勘助は昭和18年から約1年半、静岡県安倍群服織村新間字樟ヶ谷の「杓子菴」に疎開し、執筆活動をしていました。

昭和18年は太平洋戦争の真っただ中。勘助は昭和17年4月にひそかに思いを寄せていたといわれる兄嫁・末子を失います。そして新たに和子と結婚するも、結婚式の当日に兄・金一も亡くしてしまう。静岡への疎開は、立て続けに起こる大切な人の死によって人生のどん底に落とされた勘助の心を癒す、静養の期間でもありました。

この一節は春の花々が「私も歌になりますか」と優しく声をかける場面。厳しい冬を乗り越えてなお、美しく咲く花々に、どれほど勘助が心を動かされたのかが伝わってきますね。
滞在していた服織村の自然に感動した勘助は、他にも多くの、鳥や花、農民の詩や俳句をのこしました。
服織村での生活が勘助に影響を与えたのか、この一節に応じるように、その後は穏やかな人生を送ったといいます。

勘助は「静岡の自然が傷ついた自分に呼びかけて歌を詠ませた」といっています。静岡の自然にはそれだけ人を癒す力がありますし、傷ついている人だからこそ、些細なことにも感動できる感性を持つことが出来たのだと思います。学校、バイト、1人暮らし……。新しい生活が始まるこの季節、せわしない毎日に追われてちょっと疲れを感じている人は少し、立ち止まって周りを見てみてはいかがでしょうか。
この一節のように勘助も癒され、助けられた、静岡の自然がきっとあなたの心を癒してくれると思います。〈了〉

静岡県立大学 国際関係学部 細川光洋ゼミ

大半を女子生徒で占め、賑やかな笑い声が絶えない研究室。現在、地元・静岡県焼津市ゆかりの作家小泉八雲にまつわる商品企画「焼津&八雲YYプロジェクト」を進行中。「地域資源としての文学」をテーマに、怪談小説で有名な小泉八雲にちなんだ手ぬぐいやマグカップ、菓子製品などを制作している。


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