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2017-02-03

私が本を選んでいるのか、本に「選ばれている」のか。 時をかける本との遭遇。

古書店は、本の仕入れから価格決め、販売まですべてをこなす本のスペシャリストだ。 彼らは本にどんな価値を見出し、誰にどんな体験を届けようとしているのだろう? 浜松市で時代舎古書店を営む田村夫妻に聞いた、私のまだ知らない「読みたい本」との出会い方。

【取材/度會由貴(静岡大学)|取材・文/河田弥歩(静岡大学)】

時代舎古書店

時代舎古書店を営む夫婦。学生の頃の趣味が古本屋巡りだった店主・田村直美さんが始めた古書店だが、長年奥様を支える和典さんも説明には熱が入る。次々と溢れ出す言葉が二人の本への想いの強さを感じさせた。

浜松市中区松城町106-13
053-453-1334(火曜定休)
http://nttbj.itp.ne.jp/0534531334/index.html

本に対する自分のものさし。「絶対価値」を持つ。

ーー本の価値はどのように決められるのでしょうか?

本には、本と読者との間で決まる「絶対価値」があります。例えば、百円均一でも自分の人生を変える出会いってあるでしょ? 逆に十万円の本でも、読んでみたらつまらないこともある。読者が決める価値ですから、古書業者は流通価格だけを決めます。

流通価格は、〈絶対価値×希少性×人気度〉で決まります。人によって本の絶対価値は違いますが、本そのものの本質は変わるものではありません。例えば、聖書には絶対的な価値があるけど、無料で配っているものですから普通は売れません。それがグーテンベルクの聖書だと一冊が十億円になる(希少性)。

しかし、ヨーロッパでは需要があってもイスラム圏や仏教圏では需要がない(人気度)。このように、流通価値と本の持つ絶対価値は違うというのがポイントです。

時代舎古書店 店主の田村直美さん

ーー人によって違う本の絶対価値をどのように選別するのですか?

うちの店は文学、郷土史、人文系の本が多いですが、雑誌や漫画だけで棚を埋める古書店もあります。同じ古書店でも選別するふるいの目が違うため、何をセレクトするかがお客さんを選ぶキーワードになります。

古書店に訪れるお客さんは、本を読む人の中でも更に深く読みたい人、自分の生まれる前の本に出会いたい人です。クラスにいる、うんと本好きの一人を集めた中の、更に5%くらいかな。どういう本を選ぶかというと 、「新刊で手に入らない本」「他の古書店に置いてなさそうで、うちのお客さんが欲しそうな本」を選びます。
新刊書店はいまニーズがある本を売りますが、現代という局面ではなく時代を切り取るのが古書店です。うちは江戸時代くらい前までの本を扱っていますね。でも、それぞれの店舗で完結しているのではなくて、古書店はみんなで手分けして読者に本の価値を届けようとしているんです。

ーーどういうことでしょうか?

世の中にはありとあらゆる人間活動の本があって、それをお客さんに届けるのは一人、或いは一つの組織ではできないことです。新刊書店では、その店舗でお客さんに売る分が全てですが、古書店の場合は業者同士で行われる古書市があります。

例えば、他の店で百円で売っていた本を、自分は千円と評価して売るなど、市場そのものが金融みたいなんですよ。そういうやり取りを繰り返して、あるべきお店、持つべきお客さんの元へ本が届くように市場全体で取り組んでいるんです。本のなかでも古書は、奈良時代からずっと蓄積されているものです。それ自体が歴史を持っています。新刊じゃありえない出会いの面白さがあるんです。一冊一冊の本がもう死んでしまった人の人格を持っていて、そこに残影なり怨霊なりの形で残ってるわけでしょ? つまり、古書は情報的な知の部分と、歴史や過去の人が生きていた時代や思想と出会うという二つの側面があるというわけです。

実際に「本は出会い」と言うお客さんはいます。これを逃したらもう会えないという思いはあるようです。以前、大阪のお客さんが来て、何万もするような本を「探してたんです! 買うので送ってください」 いうことがありました。時代を切り取り、その本とお客さんを繋ぐのが私たちの仕事です。「ようやく出会えた」とスキップして帰っていく姿を見ると嬉しいですね。

時代舎古書店の蔵書は20万冊以上。店で取り扱う書籍のデータは全てノートに記録してあるそう

人生で読める本は二万冊。学生時代に本に出会う。

ーー時代と出会うのが古書店の魅力なんですね。でも、なかなか「自分のためにあるような本」を見つけるのは難しいです。どうしたら自分の本に対する絶対価値を見つけられるのでしょう?

学生時代は文学全集や叢書で色んな本と大量に出会うのもいいと思います。容易に見つけられるものではないし、例えば四十歳過ぎになって、ふと「あの本が自分のコアにある」と思い出すこともあります。二十年前の本はもう新刊書店にない場合もあって、なかなか見つからないこともある。その時は古書店がキーワードになります。

ただ、ここで静岡県の古書店が苦戦しているのが、「十八歳の過疎」という問題です。最も本を読む時間があるのは、十八歳から三十歳くらいです。ですが、静岡県をはじめ地方都市は、高校卒業後に都会の大学へ進学する人が多いです。そのまま都会で就職したとしたら、帰ってくるのは三十歳過ぎ。つまり、一番本が読める層が過疎なんです。加えて浜松市は昔から欲しいものを買うのではなく、必要なものを買う町だと言われています。だから、なかなか難しいわけ。

旦那さんの和典さん。夫婦二人三脚で、あらゆる時代の書籍を守り残してきました

古書店には、流通業者として、今売るだけでなく、次の時代へ本を残していく繋ぎの役目もあります。古書というのは買ったら自分のものだけど 、その本自体は時代の海の中にあるから自分だけのものではないんです。昔のように図書館や公民館に寄贈できない今は、古書店やリサイクルショップなど、色んな方法で海に帰ります。
そうして次の時代の人たちが彼らの感性で必要とする本をピックアップして、また役立てていくんです。その時に価値ある本をなくしちゃいけないから、本を補修するとしてもどこを直したか分からないくらい綺麗に直す。残すことが重要なんです。

それにだんだんと歳を取って、自分の一番ディープな部分に触れる本を読むなら、原本で触れるときっと違うものに出会えると思いますよ。その本をもう一度読みたいんじゃなくて、その本の形でよみがえる自分のなかのコアな青春の部分に出会うんです。古書店は二十年、四十年、百年と時代の奥へ行く縦構成です。時代を越えた、その本時代が持っている輝きや煌めき、絶対価値の高い本との出会いが、古書の魅力です[了]

時代舎古書店

浜松市中区松城町106-13
053-453-1334(火曜定休)
http://nttbj.itp.ne.jp/0534531334/index.html

この記事は静岡時代38号「静岡時代の本論」に掲載されています。
「わたし」を変えうる本とはなにか。静岡県と本との関わりとは? 自分を見つめ直すヒントが散りばめられた、人生読本です。
県内のすべての大学・一部の高校にて配布・設置しています。


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