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2016-04-01

静岡の神的物語? 神×仏(+本誌編集長)の対談。@浅間神社。

神様集合知で語らう。

(静岡時代vol39:静かな岡の神探しより)


キリストは天からはじまり、日本は「地」からはじまる

本誌編集長山口:神社とお寺では「神」の捉え方はどのように違うのでしょうか?

浅間神社神職宇佐美さん:よく日本の神は「GOD」と認知されていますが、実際には「GOD」は一神教のキリスト教が掲げる絶対神です。日本の場合、アニミズムといって、山や川、水、雷、地震などの自然や自然現象にも神々が宿るという多神教の考えです。日本は農耕民族ですから、理屈なしに自然を崇めるのです。

長興寺住職松下さん:歴史もほかの宗教と違い、原始時代からあると言われていますね。あと違いといえば、仏教、特に禅は自覚の宗教です。経典や教義を説くことによって神仏の教えを言語化します。でも神道は言葉はいりません。感応道交、つまり感じるんです。

宇佐美さん:神道のことを「随神の道」ともいうのですが、「神のご意志のままに」という意味です。何か願いがあるのなら、人が解決するのではなく、人が神に仕え、神にしていただくという感覚です。主体が人ではなく、神なのです。一方、仏教は人が主体ですよね。

松下さん:人間はつい理屈や分別心からの言葉を発してしまいます。禅仏教においてはこれらの解放、すなわち無我になることから始めなければならない。神道は禊で身心を清め、禅の場合は呼吸法で行います。自分が無我になった時、初めて天地と一体となり、自然や命の力を自覚します。プロセスは違うけど、神様の教えに出会うんです。その体系があるから対立しません。

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山口:仏教は唯物論で、究極的には「自然現象の背後に神などいない」という考え方だと思っていたのですが、松下さんは「神」という存在をどのように考えていますか?

松下さん:仏教は神様なしに語ることはできません。理屈でいえば仏教と神々とは直接には関係ないのですが、同時に受けいれていくのが日本の特徴です。奈良時代に仏教を浸透させていくために、聖武天皇らが奈良の大仏をお造りになったり、国分寺を建立したりしました。

宇佐美さん:「本地垂迹説」という神仏習合の考えがあります。仏が仮の姿である神の姿でこの日本に現われるという思想です。神仏を拝むということが自然の営みで、それが日本人の感覚です。

松下さん:ウクライナからの留学生をホームステイで受け入れた時に、「神道と仏教が平和的に共存しているのはありえない」と言われましたよ。

宇佐美さん:日本で親しまれている仏教は、もともとの仏教とは異なるんですよね。土着信仰である神道と深く関わって展開したため、山岳信仰に基づく修験道にその結びつきが典型的に現れています。日本には八百万(やおよろず)の神々といって多くの神々がいますが、仏もGODも外国の神として受け入れ信仰してきました。

松下さん:ただ受け入れたものの、日本人の土着の文化や精神では受け入れ難いものもありますよね。例えば、色んな花の種が日本に入ってきて、それぞれが日本の土壌に合わせて花が咲いているようなもの。これをよしとするのが日本です。

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山口:日本はその土地や文化にあわせてうまい具合に宗教を取り込んでいるんですね。

松下さん:キリスト教は絶対神々のいる天からはじまるけど、日本は地からはじまるんです。

宇佐美さん:そうそう。日本の場合、農耕民族になってから神を感じるようになりましたが、農耕民族は一カ所に定住するため、そこで生きるためにコミュニティをつくるんです。そのコミュニティの中心になるのが神社のある区域でした。「社会」という言葉は、「社(やしろ)で会う」という意味です。昔、神社を中心に村ができたことから生まれた言葉です。

松下さん:神々が降りるから祈り、お参りする。そこに人が集まります。

宇佐美さん:静岡浅間神社も、はじめは神社という建物はなく、一帯が杜でした。杜自体が不思議なものを感じる神域であったため、そこにだんだん建物ができ、人々は神社を参拝するようになったんです。まさに地からはじまっていますよね。ちなみに、「静岡」という地名の由来は静岡浅間神社のある「賤機山(しずはたやま」に由来があるんですよ。

山口:神社やお寺は山の近くにある法則性に疑問を抱いていました。山そのものが神なのでしょうか?

宇佐美さん:静岡浅間神社の中の「浅間(あさま)神社」は1100年前に富士宮の浅間大社(本宮)から分祀されました。浅間神社は富士山を拝む信仰です。富士宮にある山宮浅間神社は本殿を持たず、遙拝所の先に富士山があるという原初的なつくりを今に伝えています。ちなみに、神を数える時「一座、二座」と言うのですが、実は山も同じ数え方なんですよ。

松下さん:お寺も山を背負っていますね。仏教でも神道でも地の神様に挨拶をします。どこにも属さず、そこにずっとある土地の力を神と名付けています。

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山口:「山」が私たちの社会をつくりあげるうえで、目に見えないエネルギーの源泉になっていたんですね。そうしてかつての人たちが大切にしてきた場所や文化、思想は今の時代にも残っているのでしょうか?

宇佐美さん:古代の人が大切にされていたものが山にあると思います。文物を流通する中心もこの賤機山でしたし、神や古墳が祀られた場所です。それに、実は常葉学園は浅間神社から始まったんですよ。創立者の木宮泰彦さんはお寺の息子さんでしたので、戦後すぐに当初は臨在寺を借りて学校を開こうとしたところ事がうまく運ばず、そこで浅間神社の北回廊を借りて仮校舎とし学校を開いたのが始まりなんですよ。常葉という名の由来、常緑樹も神道にまつわるものなんですよ。

山口:では、もしも自然破壊や人間の神に対する記憶・の欠如によって、土地から神がいなくなってしまったら、これまで大切にされてきた静岡の土地や社会構造はどうなってしまうのでしょうか?

宇佐美さん:「神が居なくなる=人が居なくなる」ということだと思います。

松下さん:そう。種をまけば根付く土壌がある、これは神々が宿っているからです。元からあるもので、いなくなるものではありません。そうして古代から脈絡と人の営みは続いてきました。現代文明でも、気(生命力)を養わなければ気が枯れてしまいます。だから、大地を汚してはいけない。皆さん意識はしていないかもしれないけど、神々は人間を幸せにしてくれているんです。(取材・文/山田はるな)

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松下 宗柏さん
長興寺 住職。本取材中には東京外国語大学時代に磨かれた英語が頻繁に飛び出し、取材陣もびっくり。研修で海外に行ったり、自宅へ留学生を迎えたりと国際色溢れるお人柄。

▷もっと深く掘り下げたいひとへ松下宗柏さんからのオススメ本!
大法輪閣編集部『仏教・キリスト教・イスラーム・神道どこが違うか』大法輪閣. 2001年

宇佐美 洋二さん
静岡浅間神社の権禰宜として神明奉仕をしている。大学時代には2 月極寒期の川へ入水し、禊を行ったことも。現在も社務の前には水を浴び、心身を清めています。

▷もっと深く掘り下げたいひとへ宇佐美洋二さんからのオススメ本!
竹田恒泰『古事記 完全講義』学研パブリッシング.2013年

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