神様は私たちを幸せにするの?

人間はみんな「正しくありたい」と思うのは同じなのに、どうして人の考え方はこうも違うのだろう。人が神に惹かれる理由を哲学を専門とする松田潤先生に聞きました。古代の人の思考や文化、慣習から考える神様幸福論。実は、誰もが無意識に神をもっていた。

(静岡時代vol.39:巻頭特集:「静かな岡の神探し」より)


法律さえ守っていれば社会は成り立つのか?

ーー人はみんな「平和でありたい」と思うのは同じなのに、宗教は争いの種にもなります。どうしてでしょうか?

(松田先生)宗教はもともと、神などの超越的なものへ人を結びつけ、人と人とを結びつけるものと考えられますが、歴史を振り返ると、宗教ほど、人と人とを分裂させ、対立させ、争わせてきたものはないとも言えます。

例えば、キリスト教とイスラムとの対立の歴史は長く、十字軍とオスマン帝国との対立など、戦争を含む激しいものでした。キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、元をたどれば同じ神を崇めています。同じ創造神を崇拝しているのに、なぜ対立するのかと思われます。しかし同じ神を信仰の対象としているからこそ、信仰の正統性をめぐって、かえって対立が根深いわけです。

国家と宗教の関係では、現代の多くの国は、政教分離の原則をとっています。そのなかでも、フランスの政教分離政策(ライシテ)は最も厳格です。ムスリムの女性たちのスカーフ類をイスラムの象徴とみなして、学校での着用を禁止する法律を2004年に制定し、学校からスカーフを排除しました。こうした政策は、国家と宗教との関係をかえって難しいものにしています。

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道徳は宗教から生まれた。その文化資源が国家の基盤

ーー国家と宗教は切り離せませんね。国家を成り立たせるうえで神はどのように関係してくるのでしょうか?

(松田先生)ドイツの哲学者ヘーゲルは政教分離を積極的に主張したことはほとんどありません。むしろ「宗教は国家の基盤だ」ということを強調しています。文字通り捉えると、権力者が神の代理人として国を統治する古い神権国家の考え方のように聞こえますが、これはきわめて現代的な問題に通じます。現在、わたしたちは法治国家に暮らしていますが、法律や規則がちゃんと整備されていれば、国家は成り立つのかという問題です。

ーーどういうことでしょうか?

(松田先生)法と道徳という問題でもあります。法律は基本的に、してはいけないことを定めて罰する、あるいは損害賠償を命じるという役割があります。法は人を外から強制するものですが、人々が生活する上で必要な、「他人への思いやり」や「助け合い」は強制できるものではありません。それは道徳の問題です。

ドイツのベッケンフェルデという憲法学者は「宗教は国家の基盤だ」というヘーゲルの言葉を現代のなかで解釈し直し、手続き的な正義が形式的に守られるだけで、国家は存立できるのかと問いかけています。法の整備によって最小限の秩序を保つことができれば、社会や国家はうまくいくのか、ということです。

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ヨーロッパでは「連帯」ということが強調されます。日本風に言い直せば、相互扶助、支え合い、助け合いです。こうしたものが下支えしなければ、社会や国家はうまくいかないのではないか、という問いです。

連帯は、フランス革命のスローガン「自由、平等、博愛」のなかの博愛から発展したもので、現在ではカトリックの社会倫理学でも重要な概念です。元をたどれば、キリスト教の隣人愛です。他の文化圏では、仏教の慈悲、中国思想における仁愛などが、それに対応します。こうした道徳心の源に宗教があります。

現在においても、なおこうしたものが生きているから社会は存立していますが現代国家は、この「文化資源」をただ食いつぶしているだけではないのか、その資源が枯渇したとき、社会や国家はどうなるのか、ということがベッケンフェルデや、それをうけて哲学者のハーバマースらが問うていることです。ヘーゲルは、政教分離の原則以上に重要な問題をわたしたちに投げかけています。

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科学と宗教は相反しない。科学をきわめると宗教的境地に達する

ーーそう考えると、人が神に惹かれる理由もわかります。でも、本当に存在するか確証のない神を、なぜ信じることができるのでしょうか?

(松田先生)最近は脳研究が盛んですが、人間が神を見出した理由を脳研究などの成果をもとに論じた興味深い本(ジェシー・ベリング『ヒトはなぜ神を信じるのか――信仰する本能』)があります。人間の脳には自分の心を他のものに投影する働きがあります。自分の心の動きを参考にして、他人の心理を読むとか、「相手の立場に立って、ものを考える」という働きです。これは人間特有のものです。

この投影作用から、「いつも自分を見張ってくれている人格を持った神」という感覚が生み出され、さらに、神は人間が悪いことをしたら罰を与え、善いことをしたら幸せを与えてくれるという信仰が生まれます。自分の心を他のものに投影し、心をもった他者のことを考えることができるという人間の脳の特徴から、神への信仰が生まれるという説です。ちなみに、山口さんは科学と宗教は対立するものだと思いますか?

ーーはい。科学は宗教を否定しているイメージがあります。

(松田先生)科学と宗教の対立といえば、ガリレオが宗教裁判にかけられ地動説を撤回させられたという例が有名です。しかし、科学と宗教は最終的には一つになることができると私は考えています。現に、その道をきわめた偉大な科学者のなかには、宗教的境地に達した人が多くいます。アインシュタインは「宇宙的宗教感覚」ということを語り、これこそ「科学的探究の最も強力な、最も崇高な動機だ」と言いました。マックス・プランク(「量子論の父」と呼ばれたドイツの物理学者)は、科学は「真実に対する愛と畏敬の念を深める。畏敬の念は、知識が前進するたびに、われわれを存在の神秘と向き合わせる」と語っています。

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物質や宇宙の成り立ちを考察する物理学や宇宙科学の分野だけではありません。ミクロな生命科学分野でも同様のことが言えます。わたしたちの体は60兆個の細胞からできています。顕微鏡でしか見ることができないひとつひとつの細胞は、とても複雑な構造をしています。さらにミクロな世界におりると、細胞核があり、そのなかにDNAがあります。20世紀の生命科学は、生命現象の究極の単位の謎を解き明かしました。

ところが、人類の知がこのミクロな世界に達したとき、逆に、超マクロなつながりが見えてきました。生命はすべてつながっている。生命の源は宇宙にあるということです。宇宙創成の科学者、佐治晴夫はこれを「すべては、ひとつのものから始まった」「からだは星からできている」と詩的に表現しています。これは、禅や曼荼羅や修験道、アニミズムなどの境地に近いのではないでしょうか。

ーー宗教と科学は根底でつながっているんですね。世界はどうしたら宗教とうまく付き合っていけるのでしょうか?

(松田先生)「宗教」と称するものがじつにさまざまであるため、一概に言えませんが、人々を精神的に高めるような宗教には、愛、慈悲、仁愛、誠実といった人間が生きていく上で不可欠なものが共通してあるように思います。これらの表現の違いや、宗教儀礼や習慣の違いを超えて、この共通なもの(かけがえのない文化資源)について対話を通じて共通理解をもつことが、対立を超えて和解に達する道ではないでしょうか。それがわたしたちが生き延びていける道ですが、まだまだ時間はかかりそうです。

(取材・文/度會由貴)

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松田 潤(まつだじゅん)先生
静岡大学 名誉教授。
専門は哲学、生命倫理学。西洋哲学、現代の医療・生命科学・バイオテクノロジーがもたらす倫理問題に取り組む。ロボットスーツHAL を難病者の治療に役立てるための治験のプロジェクトにも関わっている。
▷▷もっと深く掘り下げたいひとへ松田純先生からのオススメ本!
◉佐治晴夫『からだは星からできている』春秋社.2007 年

山口 奈那子(やまぐちななこ)
常葉大学 外国語学部4年(※取材当時)。「神様は本当にいるのか」という問いから本企画を立案。静岡県に点在する神的なものをたよりに、私たちが大切にしなければいけない歴史・文化・場所を探っていく。

渡會 由貴(わたらいゆき)
静岡大学 人文社会科学部4年(※取材当時)。本記事の執筆者。

2016年04月06日 | Posted in 知の地図をつくろう | タグ: No Comments » 

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