50年後も残る美術と残らない美術

私が作品をみているのか、作品に私が見られているのか

時間も世界も越えて、今ここに存在する美術作品から、私たちは何を思うのか?上原近代美術館学芸員 土屋さん、美術家 近藤さんと1世紀前に作られたゴッホの作品を鑑賞。 実は、「わからない」美術は私を映し出す鏡でした。

(静岡時代vol.40:静岡美術50年史より)


ゴッホの幻の作品「鎌で刈る人(ミレーによる)」

島田市にある上原近代美術館が所蔵するゴッホの「鎌で刈る人(ミレーによる)」。1880年頃にゴッホが画家を志してすぐに描かれたもので、尊敬するミレー原画による版画を模写したデッサン・シリーズです。現存するシリーズ唯一の作品が長らく所在不明となっていましたが、2006年に上原近代美術館に収蔵されたことで存在が世界に広く知られました。

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時をかける美術

本誌編集長 三好(以下、三好):ゴッホといえばボリューム感のある油彩画ですが、ミレー原画の版画を模写していたんですね。

上原近代美術館 土屋さん(以下、 土屋さん):この作品は素描の最も基本的な教則を学ぼうと、何枚も繰り返し描かれたものの一つです。ゴッホはミレー原画による「野良仕事」シリーズの版画を全て模写していたんです。ゴッホの手紙によるとそれらは全て破棄されたはずでしたが、唯一この一枚だけが残されていました。はじめはゴッホの甥が持っていたようですが、その後オークションに出品され、幾人かを経たあとに上原氏の手元に渡りました。

三好:「炎の画家」と呼ばれたゴッホ初期の模写作品が今も残され、間近に見ることができるのは奇跡だと思います。私も大学で美術教育を専攻していますが、描いたものは全て残しておきたいと思うんです。だから、模写を破棄したゴッホの気持ちがわかりません。

美術家 近藤大輔さん(以下、近藤さん):ただ、作家が作品を捨てるということは、必ずしもマイナスな感情ではないと思います。描いた瞬間以外はもういらないという純粋な感情かも。ゴッホも新たな芸術を生むために、ミレーの模写を捨てたんじゃないかな。

土屋さん:模写は昔からある一つの勉強法です。他人の優れた作品を真似して描くことでその技法を学びます。そうして次は自分が描きたいものを描いていく。ゴッホも最初にミレーの模写を描いた九年後、それをもとに油彩 画(オランダ、ファン・ゴッホ美術館 蔵)で再び同じ題材に取り組みました。最初の穏やかなデッサンとは異なり、ゴッホらしい鮮やかな色彩で描かれ、手元の草はうねるような動きで表現されています。

三好:確かに油彩画の作品は大胆な画面分割と色づかいはゴッホの画風が表れている気がします。こうしてこれらの作品が時代や海を越えて残されているからこそ、 作家の内面や美術家の相関関係、美術の流れが分かるのですね。

土屋さん:後世に伝えていかなければならない作品を、後世の人たちにバトンタッチすることが、学芸員である私の仕事の一つだと感じています。たま たま残った作品もありますが、結局誰かが価値を見出して、大事にしていないと残っていきません。実はこのデッサンがとても貴重であることは知っていましたが、世界の歴史の中でこれほど重要なものとは思っていませんでした。あるとき、ゴッホ研究の第一人者の方がオランダから調査に来られて、改めてその重要性を再認識しました。そうした価値を再発見し、守っていくことも学芸員の仕事です。

三好:ゴッホの作品にしろ、美術作品は全く異なる時代、世界との対峙がありますよね。なんだか人間の寿命とは違う次元を生きている気がします。私はそれが美術特有の面白さでもあり、人類を超えているような気がして怖い部分だと思うのですが。

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人間と異なる時間軸を生きる美術作品

近藤さん:美術作品はある地点にいったらまた新しさが出てくるじゃないですか。だから寿命はあってないようなものなんじゃないかとも思います。

土屋さん:作品自体は劣化しても、作品自体の存在というのは生きていくんですよね。過去の作品の中にも、私たちが見て斬新なものはあります。これからは保存や修復の技術がもっと進歩していくと思うので、後世に残る作品も増えていくんじゃないかな。ただ、作品に手を加えることは、作家が意図していたものと違うものになりかねず、難しいところです。

近藤さん:送り出した以上、朽ちていくのは自然の摂理だと思うので、自分の意思は介在していなくてもいいと思っています。でも例えば、作品が誰かの目にとまって、誠意を持って残しておきたいと思ってもらえたなら、僕は修復してもらってもいいなと思いますね。自分が作ったものを世に出すということに意味があるので、そこから先は誰がどう見て、どういう広がり方をするかまで気にしません。そこに僕が意思を持ってしまうと、他人の評価を意識してしまって、作品の純度が下がってしまう気がします。

土屋さん:その後、世に残される作品の条件というのは、いま必要とされているかどうかです。それによって未来に残すか残さないかが決まっていきます。なかには「残さない」という判断をされた作品でも、未来の人が必要とするものもあるかもしれません。

三好:では、私たちは作品をどのように見ればいいのでしょうか?

土屋さん:私が作品を楽しむ時には、自分にとって好きだと思うものを見ています。絵を見て好き嫌いに正解不正解はなくて、その人の感性で答えは変わると思います。

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後世に残される美術 究極論は好きか嫌いか

近藤さん:僕も同様に好き嫌いで見ます。すごく好きな作品があれば、なぜ好きになったんだろうと、筆のタッチや色、背景にある人物や時代背景などを探ります。すると自分が何に惹かれて、どこに引っかかったのか、自分との関連性が見つかって、作品を通して自分を知れるんです。

三好:でも、自由に作品を見ていいと言われたら、逆にどう見ていいか分からなくなります。特に現代美術って、見方に正解がある気がしてなんだか構えてしまいます。

近藤さん:実際、現代美術に限らず、正解というのは人それぞれ自分の中にあるもので、それは他人に左右されるべきではないと思います。よく考えれば当たり前のことですが、今は様々な情報に惑わされやすい時代なので、妙に構えてしまうのかもしれません。

土屋さん:現代では美術を取り巻く環境が、昔とは違うようにも感じます。今は誰もが自由に表現出来る時代です。現代美術はわからなくても、昔の作品を見るのと同じように、なぜそのように作家が表現したのかを見つめてみるのも良いかと思います。

三好:社会やその時代を生きる人にとって、美術の在り方は異なりますね。「分からないから」といって美 術に目を向けなければ、自分たちの時代を象徴する美術作品を残すことができないかもしれないし、たとえ残されたとしてもその美術作品と自分の関わりがないのは少し寂しい。一方で、同時代の作品がわからないのは、自分のわからないところが分かっていないのと同じなのかもしれませんね。心を揺さぶられる作品に出会えたとき、未知の自分に出会えるのかもしれません。 (取材・文/度會由貴)


土屋 絵美さん
上原近代美術館 学芸員。大学時代は日本画を制作。上原近代美術館所蔵の「鎌で刈る人(ミレーによる)」は今年5月まで開催されているベルギーのモンス美術館のゴッホ展に出展。

近藤 大輔さん
美術作家。常葉大学造形学部卒業。美術館へ向かう電車の中、ひたすらドローイング。静岡で活躍する他の若手美術家との交流も盛んで、今後の静岡の美術を切り開いていく一人。

三好景子
本企画編集長。静岡大学教育学部4年(※2015年当時)。美術専修。高校時代は理系科目を専攻していたが、進学時に「唯一自分が自信をもてる場所」として美術を選択。大学入学後、自分が思い描いていた美術の世界と現実のギャップに悩み、本企画を立案した。

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上原近代美術館
上原近代美術館は大正製薬名誉会長・上原昭二が長年にわたって蒐集、愛蔵した美術品の寄贈により2000 年春、伊豆・下田市に開館しました。伊豆の大自然に囲まれた美術館。邸宅をイメージにした内観で、自分の家にいる感覚で美術品を楽しめるのが特徴。
▶︎住所: 静岡県下田市宇土金 341
▶︎HP:www.uehara-modaernart.jp

2016年03月30日 | Posted in 知の地図をつくろう | タグ: No Comments » 

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